豊島屋ビルの歴史と経営の試練
豊島屋ビルは竣工間もない頃は一棟貸からのスタートでした。
駐車場として運営していたところ近隣の上場会社から本社ビルにしたいのでビルを建てて貸してほしいというお申し出に応えた形でした。
管理は借主の自主運営としたので、経営らしい経営もせず大家として賃料をいただいて固定資産税を払っていただけでした。
それがバブル崩壊と共に会社は撤退。
いきなり「経営」の問題が出てきました。
苦労知らずの母にはもはややる気はなく、私が駆り出されました。
ビルのリニューアル工事を経てフロア貸のテナントビルとして再生しました。
ほどなくリーマンショック。引き潮の時代です。
5階だけがなかなかテナントが見つからず、ならばここでレンタルオフィスを始めたいと考えた次第です。
これがRita-Officeです。
順調にテナントも増え満室稼働が続きました。
次なる試練はご存じの「コロナ」です。
Rita-Officeでも様々な感染症対策を行なっておりましたが、
食品関係の会社さん3社が次々と退室。2部屋お借りになっていただいた方も1部屋に縮小。
こんな小さな会社でも月の満ち欠け、潮の上げ下げの法則通りに翻弄され突き動かされ研磨されていくものです。
豊島屋420年の歴史もまさに試練の連続で戦国時代を経て飢饉、地震、徴兵と空襲で全従業員を失った時期がありました。
その度に這い上がっては学び、更に修練を重ねて生き残っている会社です。
今と違って助成金も補助金も。。。
そんなものを期待すらしない社会でした。
先代は国とは税金は納めて支えるもので、何かをしてもらうなんていう発想すらなく、生き抜く智慧と愛社精神に溢れた人でした。
セーフネットだなんだと社会保障が整った今、それが本当のチャレンジと言えるのかと思うのですが、
閃くイノベーションを起こし社会をもっと活力あるものに変革していく、そんなビジネスアスリートにこの地で働いてもらいたいものです。
>>空室状況