曽祖父が教えてくれた「ゼロから立ち上がる力」—焼け野原から学んだ、創業400年のDNA

皆さま、こんにちは。神田豊島屋の木村です。
今日は、私の曽祖父から受け継いだ、忘れられない話をさせていただこうと思います。
東京大空襲—全てを失った日
1945年3月10日、東京の空は真っ赤に燃えました。東京大空襲です。
当時の曽祖父は、住み込みの奉公人たちと共に豊島屋を守っていました。B29の爆音が近づく中、曽祖父は奉公人たちを丈夫だと思っていた蔵に避難させました。そして自分は外に残りました。昔の人間ですから、バケツ一つ持って火消しをしていたのです。
爆撃が去った後、曽祖父が蔵に向かうと、避難させたはずの奉公人たちが、みな焼け死んでいました。「蒸し焼き」と呼ばれる、言葉にできないほど悲惨な状態だったそうです。
曽祖父は生涯、その光景を忘れられませんでした。「なぜ、蔵にみんなを避難させてしまったのか」と、深く後悔していました。
それでも、立ち上がった
全てを失いました。社員も、建物も、商品も。
しかし曽祖父は、立ち上がりました。ゼロから、いや、マイナスから再スタートしました。
そして、曽祖父だけではありません。神田豊島屋は、創業から400年の間に、何度も困難に直面してきました。戦争、災害、時代の変化—その度に、先人たちは立ち上がり、歩き続けてきたのです。
今、私たちは恵まれている
正直に申し上げます。
コロナ禍も、経済の不透明さも、確かに大変です。『生きづらい世の中』と、よく目にしますよね。でも、曽祖父の経験と比べたら、どうでしょうか。
B29は飛んでこないんです。
明日、全てが焼け野原になることはありません。家族も、仲間も、無事です。こんなに恵まれた時代はありません。
曽祖父の時代は、文字通りゼロから、いや焼け跡から始めなければなりませんでした。それでも、やり遂げたんです。

ゼロからでも、何度でも
今の私たちには、技術があります。知恵があります。仲間がいます。そして何より、平和があります。
何かを失っても、恐れることはありません。ゼロになっても、やり直せます。むしろ、何でもできる時代なんです。
曽祖父から受け継いだDNAが、私に教えてくれています。「大丈夫だ」と。
神田豊島屋が400年続いてこられたのは、優れた商品があったからだけではありません。どんな困難に直面しても、何度でも立ち上がる—その精神があったからです。
今日も、その精神と共に、全力で前に進んでいきます。
皆さまも、どうか恐れずに、挑戦し続けてください。私たちには、想像以上の力があるのですから。

神田生まれの江戸っ子
木村蓉子 きむらようこ
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